集合人編集局(しゅうごうじんへんしゅうきょく)プロフィール
1995年(平成7年)1月、津留晃一は、月刊情報紙『創生会レポート』を創刊します。
津留が、自ら創業・経営していた会社の倒産という苦しみの中から、
内面を見つめ、光を見出し、メッセージを受け取るようになってから、3年後のことでした。
時を同じくして、津留の活動を支える事務局として、『21世紀創生会』が誕生しました。
「輝く21世紀の創生へ向けて、喜びの社会の創生に向けて、美しき世界の創生へ向けて、
当会はその夢を語り続けます。」
これが創刊時の宣言でした。
それ以降、約4年にわたり、このレポートを通じて、津留はメッセージを発信し続け、
そのメッセージを基にした講演会、勉強会、個人セッションを、各地で精力的に行っていきました。
(これが、HPで公開しているメッセージ集『新人類への覚醒進化プログラム』になります)
1998年(平成10年)9月、創生会レポートの最終号が世に出て、
21世紀創生会も解散することになりました。
「先生役のような中心の立場で、メッセージ、情報を発信し、みなさんを引っ張っていく・・・
そんな役割から離れ、自分をさらけ出し、自分が体験し、自分のものになったことだけ伝えていきたい。」
そう、津留は述べています。
そして同年11月、情報誌『集合人』が創刊。
事務局も『集合人編集局』として生まれ変わりました。
" 集合人(しゅうごうじん) " とは、津留の造語であり、
「集合意識を有する者」
「小我としての自分と、大我としての自分を、同時に矛盾なく認識し、その認識に従って生きている人」
という意味です。
『集合人』創刊と並行するように、雑誌『アネモネ』に「実践!幸せテクニック講座」の連載をスタート。
これを基にした、『幸せテクニック講座シリーズ①~⑪』の勉強会が行われました。
また、浄化の個人セッションも全国で行っていきました。
2000年(平成12年)10月17日、津留が、肉体から光の次元へ移行しました。
2003年(平成15年)6月、集合人編集局の代表であり、津留を陰に日向に支えてきた津留の姉、
山口潤子によって、HP『津留晃一の世界』が立ち上げられ、津留の遺したメッセージを公開。
そのメッセージは、今なお、多くの人々に影響を与え、そして目覚めのためのサポートとしての役割を果たしています。
2014年(平成26年)3月3日、山口潤子が、肉体から光の次元へと移行しました。
「津留さんのメッセージを必要とする方々に、広く、発信していきたい・・・」
その想いは、山口潤子とともに津留をサポートしてきた娘(津留の姪)井瀧裕子に引き継がれ、
そして、そのパートナーのひでとともに、共同創造しながら、
個人セッション、浄化ワークショップ、津留さん交流会、といった、新たな活動を展開しています。
井瀧裕子
津留晃一の 姪 ( 津留さんの 姉の 娘 )。
幼少期から、見えない世界とのつながりを強く感じ、
この世(特に人間)への漠然とした恐れと、
「なぜ、ここに居るんだろう?」という違和感、
そして あの世への郷愁を抱いていました。
14歳で、宇宙(ワンネス)の視点から私を眺める神我の目と出会い、
宇宙の法則・叡智(=神)の一端を思い出しました。
講演活動を始めた 津留さんを サポートするため、公務員を退職。
全国各地の講演会、月刊情報誌の発行等を、母と共に陰で支え、
同時に、聖地巡礼の旅などを、津留さんとともに 楽しみました。
並行して、フラワーエッセンス、レイキ、フルフィルヒーリング等を習得、
遠隔リーディングやヒーリングを行っていました。
津留さん亡き後は、母が続ける、津留さんの情報発信を 手伝いつつ、
地球と調和した、持続可能な 自給的生活を 模索して、田舎暮らしへ。
ナチュラルフーズ『あむりた』として、各種マーケットに出店、
マクロビ系焼き菓子や お弁当の 販売を行っていました。
また、お菓子作り教室も ご好評をいただいていました。
母の他界後、集合人編集局の仕事を引き継ぎ、現在に至ります。
プライベートでは、未婚の母を体験した後、ひでさんと出会い結婚。
3人の子供(23歳・14歳・11歳、2021年2月現在)は、いずれも水中出産。
ブログ あむりたのしずく
(2021年2月記載)
ひで
裕子の 夫 ( 津留晃一の 義理の 甥 )。
人生における挫折と絶望の中、
2004年、ネット上で、津留さんのメッセージ『 覚醒進化プログラム 』に出会いました
(なので、残念ながら、津留さんには お会いしていません)。
それをきっかけに、
裕子さんと知り合い、そして、結婚。
文字どおり、
津留さんに救われ、助けられました。
結婚後、東京から千葉・外房に移り、
約6年ほど、「農的な田舎暮らし」を体験。
当時は、「エコロジー」「地球と調和した暮らし」に、
最大の関心事がありましたが、
結局のところ、「自分の内面・自分自身との調和」こそが課題であり、
そこと真摯に向き合う、貴重で濃密な時間を持つこととなりました。
2013年7月に、『 第1回 津留さん交流会 』を開催。
そこから、本格的に、津留さんについての、現在の活動を開始。
翌年には、津留の姉である、義母・山口潤子が他界し、
『集合人編集局』を、裕子さんと共に引き継ぐこととなりました。
これまでの活動において、
個人セッションでは、
のべ1036名の方々の、浄化のお手伝いをしてきました。
また、
90回を超える交流会の開催と、
90回ほどの浄化ワークショップの開催とにより、
合計で、のべ2,600名ほどの方々と、
「津留さん」を通じて お会いし、お話を伺い、
そして、直接・間接に、浄化のお手伝いをしてきました。
[ 2022年6月 現在 ]
それらは、
表面的には、その方々の浄化のお手伝いでありながら、
その実、
実質的には、私たち自身が、自分自身のブロックと向き合い、
そしてそれらを浄化する機会でした。
このプロセスこそが、自分にとって、
一番の学びであり、かつ、一番の喜びでも あり続けています。
また、深層的には、
多くの方から、その方々が体験された「実人生」をお聞きする機会であり、
それは、自分一人の人生しか知らなかったそれまでと比較して、
「地球における人間体験」を、多く、深く、知ることができ、
そこから、極めて貴重な、理解と気づきを多く得ることとなりました。
加えて、
その方々の、過酷でチャレンジングな人生と比べて、
自分がいかに恵まれた人生を送ってきたかを確認する機会ともなり、
自分の不満や不安・「傷」が、
いかに軽微なものであるかを認識することになり、
叱咤されているようで、気の引き締まる思いになることができ、
また、それらの方々の奮闘ぶりを拝見することで、
結果、励まされ、激励され、
それによって、心の落ち着きと平安とが、自然、もたらされてきました。
また、それらの過程それぞれからは、同時に、
「津留さん的な考え方」が、多くの方にとって、とても役立つものであること
「津留さん的な『浄化』」が、極めて実践的であり、優れて有効であること
を、目の当たりにする機会でもあり続け、
そのことが、
津留さんが遺してくれたものに対する、揺るぎない信頼と、
自分の活動に対する、秘かな自信にもなってきました。
そして、それらから得られる なによりの果実は、
「津留さん好き」の 仲間のみなさん大勢と、
実際にお会いし、触れ合い、お話しすることができる
ということです。
これからも、
運良く得られた この立場を利用・活用して、
「仲間」の みなさんと、
「より楽しく」「より楽な」人生に ともに向かって行こう ...
と、思っています。
・「与えられる」もの(提供できると期待されるもの):
話をお聞きすること
津留さん的理解をお伝えすること
津留さん的解釈をお伝えすること
実践的に浄化のお手伝いをすること
仲間として繋がり、共に進んで行くこと
・「特徴」(とご指摘ただくもの): 解読力(認識力)および言語化力(表現力)
「ひでさんの、クライアントの取り止めもない話の断片を拾って、
それらを正確に理解し、そして的確な言葉に まとめあげる能力は、
天才的だと感じています。
生まれ持った才能かとお察しします。
こちらが言った以上に『そ!それ!それを言いたかったんです』
という感じに 分かってくださり、まとめてくださるので、
理解してもらえた、共感してもらえた という満足感が出るのです。」
「津留さんの体験を言葉にするのが非常に難しいのですが、
ひでさん がいると、まるでAI翻訳のように
自分言いたいことをわかりやすく砕いて説明してくださるので、
不思議と自分の伝えたいこと、言いたいことが自然と出てきます。
ひでさんは 言語化する天才だと思いました。」
・「苦手」なもの : 他人のイライラ
・「不得手」なこと : お金のこと
・「好き」なこと : 旅行
☆ 代表的な旅先 :
「北海道(知床・摩周湖・宗谷岬)」〜「沖縄本島(辺戸岬・久高島)」
「ニュージーランド(Cape Reinga 〜 Stewart Island まで、ほぼ全土)」
「オーストラリア(Ululu・サンシャインコースト・パース・シドニー)」
「ハワイ(オアフ島・ハワイ島)」
「セドナ」「マウントシャスタ」
ブログ 迷悟
(2022年6月記載)
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