空想と現実

  「現実」という言葉の概念に向けて意識の焦点をあわせていくと、私の意識は空間をさまよい、やがて私の心の中に戻ってきます。現実と呼べるものは私の想念の中にあるという当たり前の事に気付かされます。

 目の前に展開されている「現実」を眺めながら、それを心の中にたどっていくと、そこに私の想念が発見されます。「私にとってこの想念は必要なのだろうか」とチェックしてみると、必要というわけではないということがわかります。ですが「では、その考えを手放そう」と思ってみたときに心の中には葛藤が生じます。何がこの葛藤を誘発しているのかと探してみると、私がこれまで永い間慣れ親しんできた、固定的観念が上がってきます。この古い価値観と対面させられる事になります。

 そんな時にはこの葛藤の元となっている習慣的考え方に、しっかりと意識の照準を合わせます。そうしていると、それに関する様々な恐れや、雑念が上がってきます。その一つ一つに丹念に意識を合わせて下さい。恐れがあるならそこにじっと意識を合わせ、自分の中心を外さないで下さい。

 あなたの心がハートの中心にいて、何かに意識を合わせていると、その対象に、あなたの内面の光が照射されます。そしてやがて数分の内に、不思議なことにそれがどうでもいいことのように思えてきます。そしてそんな時には、その対象に意識を向け続けるだけの集中力が無くなっています。すなわち集中力が途切れた時には、既にその固定的考え方が、もはやあなたを動かす力をなくしてしまっているわけです。そしてあなたは一つの習慣的考え方から自由になります。あなたの内面から上がってくる葛藤のエネルギーが、古い価値観を破る破壊のエネルギーとして働いてくれるわけです。

 こうしてあなたの眼前に展開される一つひとつの出来事が、あなたを無心へと導いてくれる原動力となるわけです。どうぞ自分のために静かな時間をとってあげて下さい。あなたの古い価値観をはずすためには、どうしてもこうしたエネルギーワークが必要となるからです。

  目の前に困った人が現れてきたとき、どうしても何か手助けがしたくなるものです。そんなときにはどうぞあなたに出来る事をしてあげて下さい。ですがそれだけだったら又あなたの前に、困った人が現れてきます。あなたは困っている人を助け続けるということもできます。人類の救済という素晴らしい自我の高揚感を体験できる事でしょう。そしてそのあなたの救済ゲームは永遠に続くことでしょう。とても素晴らしいことです。でも、もう困った人をあなたの宇宙から完全に抹消してしまうことも出来るのだ、ということも知っておいて下さい。ですがそんなことをしたら、あなたはもう二度と人手助けするという悦びを味わえなくなってしいます。あなたの自我はその最も深いところで、この事を知っています。ですからあなたの自我は人助けを必要としなくなるような誘惑には強い抵抗を示してくるでしょう。

  私達集合意識が「助けたい」という想念を抱いたその瞬間に、助けられねばならない困った人をその裏で製造します。助ける者と、助けられる者は元々一つでしかないからです。一つの想いが相対立する二元的性質を生みだします。救済者というプラスの概念が、救済されるマイナスを生みだしています。

 「困った人はもう必要ない」と言い切ることは簡単ですが、「私はもうだれも助けない」と断言する勇気がありますか? あなたの中に「手助けしたい」という思いがある限り、助けられねばならない人をあなたは目の当たりにするでしょう。そして、もしそんな人が現れた時には、あなたに出来る最善をつくしてサポートしてあげて下さい。

  ですがその後であなたにはする事があります。自分の内面に潜んでいる「人を助けたい」という思いをじっくりと観察して下さい。ゆっくりと時間をかけて、その考え方と対峙して下さい。あなたの生命エネルギーを、もうあなたにとって不要と思われる想念に注ぎ込んで下さい。そうしたら必ず消えていきます。どんなに深いところにあるものも例外ではありません。あなたに決心するエネルギーが生まれるか否か、問題はそれだけです。

 何も無理をすることはありません。起きてくる事に身を委ねていて下さい。全てのことにはそのベストな時というものがあります。自我に言い聞かせたりせず、じっくりとそのエネルギーがやってくるまで待って下さい。あなたという神にとって無駄な事など何一つありません。全て必要な事はベストのタイミングでベストな形でやってきます。それはあなたが変化したときにわかります。全てが完璧なタイミングで起こっていたことがわかります。その時あなたは宇宙の全能性を知るでしょう。

 私の書いていることは、私という個体意識と集合意識の合作です。この文章の全てを信じないでください。あなたにはあなたという個体意識特有の存在理由があります。それは私のものとは違ったものです。ここに書かれている事はあくまでも単なる宇宙の一表現形態でしかないということを踏まえた上で参考にして下さい。あなたこそがあなたの宇宙の中心なのですから・・・。

 今、あなたのするべき事は自分の内面世界を広げていくこと。欲求に従って単に行動して行く者から、その欲求が自分の内面世界のどこからやってくるのかに意識を向け続ける者になって下さい。原因に、原因にと遡り続けることによって、あなたはやがて徐々に集合意識としての自分の記憶を取り戻していくことでしょう。発想が個体意識から徐々に切り離され、集合意識の記憶とのつながりが増えてきます。

 集合意識としての私がこのゲームを始めた張本人であったことを思い出すでしょう。貧者は私が創りだしたのだという事が、病の淵で喘いでいる人は私が産み出したのだということが。経済的苦しみに疲弊した人を、独善的に人の頂点に立とうとする人を創り出したのは私以外の何物でもなかったと・・・。でも安心して下さい。自分を咎める癖のある人や否定的なあなたはこんな事を思い出すことはありませんから。全く自分を咎めることの無くなった人だけがこの事実を思い出します。でないとあなたの自我がその苦しみに耐えられないからです。どうぞ自分を信頼し、自分の宇宙を信頼して下さい。あなたこそが「私」であったことを思い出すでしょう。そして「私」とはこの地球には一人しかいなかったことがわかります。「私」とはこの宇宙に一人しかいないのだという事に気付きます。あなたこそが宇宙に存在するただ一人の「私」です。あなたこそが宇宙生命です。

 そしてあなたはこう言うでしょう。「私はもうこのゲームを終わらせることにしよう。弱者の救済ゲームはもう終わりにしよう」と。自分は宇宙の「私」であることを知っているあなたの決心が集合意識の決心となるでしょう。

 私は去年まで高血圧の薬を飲み続けていました。あるとき、成人検診で医者から指摘されたからです。それ以後、機械的に薬を飲み続けていました。薬を飲んでいれば血圧が安定するからです。見えない世界の方からあるときこう言われました「いつまで薬を飲み続けるつもりか」と。私はどうして私の血圧が高くなったのかを調べてみました。それはすぐにわかりました。私は医者であった父が毎日毎日高血圧の薬を飲んでいるところを見て育ちました。私の心には年をとると血圧が上がるのだという考えがはっきりと刻まれていました。私の心の中のこの鮮明な心象が、この世界に現実として投影されているわけです。

 私達はこれまで、自分の内面の心象を外界世界に投影しているにもかかわらず、現実というモノは、自分とは無関係の何かの力によって引き起こされるという誤解を持ち続けてきました。もちろん現実をこの世界に投影しているのは表面意識ではありませんが、あなたの現実をこの外界世界へ投射しているのはあなたの内に存在する無限の力、あなた自身の本質です。内側の私と外側の私にははっきりとした役割分担があります。自我意識であるあなたこそが何をしたいかを決めます。内なる神はそれを100%叶えようとするあなたの召使いのようなモノです。

 内なる神にはあなたの見えているモノが全く見えていません。この世界は五感を通してしか見ることが出来ません。あなたが外なる世界を見て感じた印象を通して、内なる神はあなたの世界を感じています。そしてあなたが抱いた心象を外側に映し出します。「これでいいかい」と言っているわけです。ですから気に入らなければ心象を書き換えればいいだけです。

 でも私たちはこれをなかなかやりません。血圧が高いという現象を捉えたら、その心の記憶を変えようともせず、薬を飲んで下げるという対処をします。そして自分は血圧が高いという印象を強めます。現実という結果は、ハイヤーセルフからのメッセージです。

 現実は現実なんかではありません。「これでいいのかい?」というお知らせです。ですからそんな結果に対処する必要は全くありません。結果は消えていくのですから。消えないのは対処するからです。あなたが結果を見て、又強い印象を心に抱くからです。結果に対処すべくあなたは又別の欲求をハイヤーセルフに伝えます。こうなりたいと。こうしてあなたは結果を見る度に新たな願望を抱き、要求の数だけが増え続け、最初の願望はどこかへ行ってしまいます。現実とはあなたの心のイメージです。現実は外なんかにはありません。

 あなたが始めたのは自己の救済ゲームでした。私達は外側の世界を見よう、見ようと意識を働かせているうちに、いつの間にかメビウスの帯状の流れに沿って、内と外が反対になってしまいました。外に現実があると誤解するに至ったのです。こうしていつの間にか自己救済ゲームが、この人間世界では他者救済ゲームとして進行してきました。外側の現象を内面に記憶していくゲームから、心を表に映し出すゲームへと変わります。無意識的に行っていた現実想像ゲームから、意識的創造ゲームの始まりです。内面に想像(イメージ)を働かせ、外面に創造をもたらします。真実の自分を思いだして下さい。自分を浄化することによって思い出します。自分の習慣的考え方を手放すことによって本当の自分がわかります。創造的意識だけが残るからです。

私たちの大脳は、あなたが心の中で創り上げた空想なのか、何かを体験して抱いたイメージなのかを判断する能力がありません。あなたの描く夢、空想はそのまま現実世界へ投影されます。どうぞありたいイメージをはっきりと空想して下さい。それこそが現実なのですから。